JSA(共同警備区域)を訪れて

昨年の11月に私が訪れた大韓民国(以下、韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の軍事境界線(いわるゆ38度線)のことについて書こうと思う。

私がなぜそのようなところに行こうかと決意したかというと、2012年にニュージーランドで多くの韓国人の友人ができ、徴兵制のことや北朝鮮との関係のこと、そして日韓、日朝関係について色々と話したことがきっかけになったのだと思う。

私は、徴兵制など馬鹿げている、大学生活や10代20代の貴重な2年間を軍の中で過ごさなければならないなんて不利益にしかならないと強く主張していたが、もちろん彼ら韓国人だって当然同じことを思っているし、軍での訓練などしたくないと反論する。しかし、そこで重要なことは、韓国と北朝鮮の戦争はまだ終わっていないということだ。

韓国と北朝鮮のこの軍事境界線(Military Demarcation Line:MDL)は朝鮮戦争後の1953年に休戦協定にて決められた境界線である。休戦協定であるので、このラインは”両国が実効支配をしているという境界線であり、国境線ではない”という認識である。両国にとっての国境線とは、朝鮮半島全域及びその島嶼部であり、互いに重複している。

軍事境界線からは南北に幅2km、つまり4kmの範囲で非武装中立地帯(Demilitarized Zone:DMZ)が設定されていて、これがいわば北緯38度線と言われる境界線である。朝鮮戦争以前の話や、朝鮮戦争当時のやり取りに関してはここでは省略するが(書店やGoogle先生参照)、戦中に韓国側は一時かなり押し込まれ、ソウルが陥落するほどであった。しかし、アメリカ合衆国が多国籍軍を投入し、なんとか38度線まで盛り返した形となっている。

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そして、私が訪れたのは、その4kmの幅の範囲内にある場所であり、南北が実務協議を行う場である共同警備区域(Joint Security Area:JSA)、いわゆる板門店である。ここだけは例外的に非武装地帯を共同で警備する場として制定され、以前には南北の兵士が自由に行き来できる場所であった。しかし、2度の銃撃戦があり、現在ではこの区域の中であっても境界線が引かれている。しかし、先ほど述べた実務協議をする場としての軍事停戦委員会本会議場はその境界線上に建てられ、我々一般人でもツアーのみで行くことができる。(国籍により参加できるかが決まる。北朝鮮側から参加できる国籍もある。)

中は以下のようになっている。画像

私は日本人であり、韓国側からのツアーで参加したので、この時間帯は協議場の中には国連軍(韓国軍と米軍)の軍人がこのように立っている。この場は現在南北朝鮮両方から見学できるようになっているため、1時間毎など、時間が決められ、韓国側からのツアー客、北朝鮮側からのツアー客が交互に入ることができるようになっている。

この韓国の軍人のように、この地にいる軍人は全員サングラスをかけている。それは下手に目線を相手に向け、ニヤついたり、睨めつけたりして相手を挑発するような行動を取れば、それが相手の攻撃するきっかけとなり、銃撃戦まで発展する恐れがあるからであり、軍人は常にサングラスをかけ、さらに微動だにしないほど動かない。画像

外から軍事境界線を眺めるとこのような感じとなる。この左の水色の建物がその軍事停戦委員会本会議場であり、境界線上に建物があることがわかる。写真中央の灰色と黄土色の間にコンクリートの段差が、ここでの境界線となっている。

そして、3人の軍人が常に北朝鮮側を向き、監視している。3人ともサングラスをかけていて、もちろん全く動かない。この”動かない”という動作はテコンドーの基本動作で、3-4時間交代で監視を続けている。両サイドの2人は建物に半分身を隠しているのもわかるだろう。また、北朝鮮側を見ると、建物の柱の影に1人だけ監視役がいるのもわかるだろうか。それは北朝鮮側の監視係の軍人で、我々のような観光客が来て写真を撮っていると、柱に隠れてしまうように感じた。以下、拡大して撮った写真である。しかし、そこには1人しか見えなくてもあの建物の中には何十人という軍人が常に待機していて、何かあるにつけ常時対応できるようにしているらしい。画像

また、この施設の周りにも何戸も監視棟があり、常にモニターなどで監視し合っている。ここを去るときには次に議場に入るのを待っていた北朝鮮人観光客を見ることもできた。もちろん北朝鮮人の知り合いなどいないので、初めての出来事でもあった。

次はまた議場の中へ戻る。下は議場の中から撮った境界線の写真である。左が北朝鮮側なので、建物の中ではすでに北朝鮮に空間的に入っていることになる。画像

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この扉を開けると北朝鮮へ行ける。この軍人より位置的に後ろに行こうとするとすかさず制止される。

さて、このJSAの軍人のことについて述べておくと、ここの環境下での任務は非常にストレスのかかることかもしれない。そして様々なことが起こりうるこの区域において、ここで働く軍人には一定の要素(スペック)が必要なのだという。それは、(1)家柄がいいこと(2)背が高いこと(3)ハンサムであること といった要件があるらしい。というのも、軍人の亡命を防ぐためであるからである。ここで、なぜ貧しい北朝鮮へ亡命することが考えられるのかと疑問に思う人がいるかもしれない。しかし、色々と情報を持っている韓国軍側、そしてアメリカ合衆国側の軍人が北朝鮮へ渡れば、向こうで破格の待遇で迎えられるという背景があるからである。これは真実かどうかは定かではないが、ただツアーガイドが言っていた(!)としておこう。ちなみに、この共同区域で我々観光客が走ったりすることは禁止である。それは亡命しようと見なされるからであり、即座に撃たれてしまう(!)また北朝鮮側へ向けてピースしたり指を指したりすることも、挑発行為と見なされるので禁止である。こういった様々な規則がある中で、初めて訪れることができる地なのである。

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右上の白い小さな展望台のような建物が北朝鮮側の監視棟である。

この区域に行った印象をまず挙げるなら、”殺伐としている”、”ここは未だに戦時中である”という認識をはっきりと感じることができる点にある。日本で平凡に生きている中では絶対に味わえないような緊張感が常に漂っていて、それだけでも行った価値があったと感じている。まだ11月の半ばというのに、気温も0℃近く、北朝鮮の気候の厳しさも感じられたのかもしれない。”常にない平和”、”糸が張り詰めた感覚”そういったものを感じる場としてこの軍事境界線は今も存在し、休戦状態にある南北朝鮮の均衡を維持している。

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ここは、そのJSAからバスで2分少々のところにある、「帰らざる橋」と呼ばれている橋である。1953年の朝鮮戦争後に南北で捕虜交換が行われた場所である。戦後、捕虜には南北どちらかを選ぶ権利が与えられ、一度行ってしまうと二度と帰って来れないということで、その名がついた。この橋のすぐ向こうが北朝鮮である。

また、この端の近くには、ポプラ事件の祈念碑もある。ポプラ事件とは、1976年に、この共同警備区域内に大きくなり、監視の邪魔となっていたポプラの木の枝を切り落とそうとしたアメリカの軍人が北朝鮮側の軍人に射殺され、第2次朝鮮戦争の引き金になりかねない事件のことである。画像

なお、このJSAの見学は決められたツアーのみでしか参加することができず、いくつかの旅行会社が請け負っている。その他にもDMZ(第3トンネルの見学など)に行くツアーや両方に行くツアーもある。次は第3トンネルにも足を運びたいと思う。画像

ちなみに、この地一体は板門店という名でよく知られているが、村の名前であり、元々はお店の名前であることは有名である。またこのツアーに参加するには、どんなことがあっても責任を負わないといったような書類にサインをしなければならない。画像

ソウルに訪れる機会があるならば、ぜひ訪れて欲しい場所であるし、今自分の見ている世界は決してその片面に過ぎないと感じれるかもしれない。あの殺伐とした雰囲気を味わい、現に戦時下にあるのだと少しでも感じることができた後、私は易易とは韓国人の友人たちに徴兵制なんてやめてしまえとも言えなくなってしまったし、より深く考え、どうしたら両国の問題を平和的に解決できるかを考えなくてはならないとも思ったくらいである。北朝鮮の軍人は110万人を越していて、韓国の2倍程度である。数の上では圧倒的に不利な韓国側は、もちろん軍事的な手段は望んでいないし、そんな解決法は全世界の誰も望んでいない。

さて、現代に生きる私たちにその解決法が見出せるだろうか? 国を問わず、良識な隣国の一員として、そういったことをこれからの課題にしていくのも悪くはないだろう。

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カテゴリー: Introductions

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